子供部屋がある結果、引きこもりが表れる

引きこもってる人って、たいていの場合、子供部屋に引きこもっています。

子供部屋を与えられた子供のごく一定数が、引きこもりになります。これは、スーパーマーケットの客のごく一定数が、万引きを犯すのと同じです。

子供部屋とスーパーマーケットって、実はすごく似ています。どちらも戦後の日本に入ってきて、爆発的に普及した新しい生活様式です。

欧米のテレビドラマに出てくる子供部屋は、団塊の世代の子供の憧れでした。核家族化と、夫婦一組あたりの子供の数が減少した結果、狭い日本の住宅事情でも、子供専用の部屋に空間を使うことができるようになりました。

スーパーマーケットと万引き

同じく欧米から入ってきたスーパーマーケットも、日本の買い物のあり方を、劇的に変化させました。

日本にあった小さな個人商店では、客の注文に応じて、商品は店の人が選んで渡していました。商品は、買ってからでないと、手に取ることができなかったんですね。それが、客に商品を手に取って自由に選んでもらうほうが、売上が上がることがわかったので、スーパーマーケットは形を成したんですね。

客は、商品を手に取ることができるわけですから、万引きという、それまでは存在しなかった犯罪が出現します。

スーパーマーケットは、客の一定数が犯罪者になる要素を内包しています。

万引き犯となった元客は、店を出入り禁止にされて、警察に突き出されます。彼らは、個人商店時代は、ちゃんと客だったんですね。なぜなら商品を手に取ることができなかったからです。万引きは、そもそも存在しなかったわけです。

だからといって、スーパーマーケットを廃止しろとは誰も言いません。客は、商品を手に取って選ぶという楽しみに満足しており、店は、客が如何に心地よく、ひとつでも多くの商品を買ってくれるかといった、利潤を追求していきます。

スーパーマーケットは、一定数の客を万引き犯にするが、それを補って余りある経済性があると、みんなが思っています。

子供部屋と引きこもり

子供部屋という形態は、一定数の子供を引きこもりにするが、子供部屋なしで子育てはできないと、みんなが思っている。

戦前の日本の家族形態と家屋の構造は、プライバシーなんてものはなく、家で個人空間を持っているのは、大人のみでした。奥座敷は、家長夫婦のもので、書斎は、家長のみが持てる特権でした。

家は、決して子供にとって居心地が良い空間ではなかったのです。子供ははやく家を出たいと思っていました。

それが、子供部屋という形で、いきなり居心地の良いプライベート空間が、子供に与えられるようになりました。

欧米への憧れと、子供のプライバシーを尊重するという時代の流れ、さらには、勉強机やベット等、新しい需要が創造されたこと、みんなの建てる家に子供部屋があるという同調圧力などなど、子供部屋は善なりと思い込んでいきました。

子供部屋はスーパーマーケットと同じで、善でも悪でもありません。みんながそう望んだ結果、形をなしたのです。

一定数の人間が、子供部屋に引きこもって、そこで実質的に人生を終わらせますが、それは最近になってわかってきたことです。

引きこもりは、本質的にはスーパーマーケットの万引き犯と同じで、社会にとって許容範囲の損失であると、マクロな視点からは考えられます。

大多数の利が圧倒的に勝る場合、少数の不都合な真実は黙殺されます。

みんなが望んだ結果、子供部屋もスーパーマーケットも具現化したわけです。その結果、引きこもりと万引きが起こります。それには、良いも悪いも、正しさも間違いもなくて、ただ、そういう構造をしているのです。