【04】ナデミタコエクスプレス『19歳』

高校3年生の夏休み、ナデミタコは、先の進路が未定でした。

漠然と、バレーボールと教育に携わった道で生きていきたいと思っていましたが、相変わらず遅刻が多く、出席日数もぎりぎりで、しかも1年留年しているナデミタコは、バレーボール推薦で入れる大学はありませんでした。じゃあ、センター試験を受けて、つくば大学や順天堂大学にでも一般入試で入り、バレー部に入ることも考えましたが、なんかしっくりこなかったんです。

バレーボールで、専門誌に名前がのるくらいの選手ではありましたが、日本中の高校生が集まる強化合宿で、ナデミタコは一番小さかったのです。彼らは、全員身長190センチ以上ありました。184センチで左利きのナデミタコは、高校生レベルでは、優秀でしょうが、果たして、歴然とした身体能力の差は、プレイIQやバレーボールのセンスで埋められるのか、疑問でした。

決定的だったのは、当時の日本代表のセッターです。その選手は、190センチの左利きでした。ナデミタコより4歳年上の大学4年生の彼に、身体能力でも技術でも勝てる気はしませんでした。そして、そんな日本一のセッターが率いる日本代表は、世界に全く歯が立たないのです。

日本のバレーボール界は、プロスポーツとして成立しておらず、大学の教育学部で、バレーボールをそれなりのレベルでプレイし、教職に就き、部活動の顧問として、バレーボールと教育に携わりながら、身を立てる道、すなわち、ナデミタコの父親が歩んだ道を行くことが、最善かと思われました。

しかし、ナデミタコは、遅刻の常習犯で、学校に行かないこともあるし、宿題もやらないのです。毎日学校に行かないやつは、残念ながら先生になれません。

ナデミタコは、バレーボールがあったので、高校卒業までたどり着くことができたと思っています。どうにかして、バレーボールに恩返しがしたい。しかし、どうしていいかわかりませんでした。

そんな19歳の夏休みの夜に、なんとなく視聴していたケーブルテレビで、ある日本人プロバスケットボール選手が、こんな話をされていました。

「NBAでプレイしたいから、高校を卒業してアメリカの大学に行った」

この一言は、スーッと心に響きました。

「アメリカに行けばなんとかなる。バレーボールをやる日本人は、アメリカのどこかの大学が興味を持ってくれるかもしれない」

ゴールが定まったので、すぐ行動しました。

まずはじめに、岐阜県立図書館に行きました。アメリカ留学について、情報収集をするためです。

そこで、「アメリカ・スポーツ留学」という本を借り、読みました。

そして、東京、赤坂にある、著者のオフィスに電話をして、カウンセリングの予約をしました。確か、60分で1万円くらいだったと思います。

『アメリカでバレーボールができる大学を紹介してほしい。場所は問わない』

「提携しているリベラルアーツカレッジに、バレーボール部があるか問い合わせてみる。契約には、65万円かかる。これは、入学までのサポート代のすべてが含まれる」

『入学までのサポートとは?』

「出願に必要な書類とエッセイの作成の手助けと、高校の成績証明書と高校の先生からの推薦状の英訳、入学許可が出てからの、F1ビザ取得の手引き、シラバスの読み方や、大学の授業の取り方の講習、アメリカで生活する上でのアドバイス」

『了解した。どれもナデミタコ一人でやろうとすると、途方もない時間がかかりそうだし、そもそもできそうにない。それに、築いてきたブランドで提携している大学を紹介してもらえるなら、65万円はリーズナブルだと思う。岐阜に帰って、父親に相談する』