【学得底と体得底】本当に理解している状態とは?

学得底・体得底という言葉を聞いたことがありますか?

それぞれ、がくとくてい・たいとくていと読みます。

学得底・体得底は禅の修行で用いられる専門用語だそうです。

ざっくり言うと、見聞きして学んだ状態を学得底と呼び、学びから実践している状態を体得底といいます。

例を挙げます。

喫煙者が、タバコは体に良くないと知っている状態が、学得底です。

喫煙者が、一念発起して、禁煙している状態が、体得底です。

禅の修行では、体得底に重きを置くそうです。本当に理解している状態とは、行動に移して、それを日常として習慣化している状態を指します。

タバコは体に良くないと知って、それを禁煙という行動で実践すると、学得底から体得底へ移行したといえます。

学得底は、学びのファーストステップです。わたしたちは、毎日数えきれないほどの学得底が与えられています。意識できるもの意識できないものも含め、無限に近い学得底が、わたしたちの日々には存在しています。

同じことを繰り返しているように思える日常でも、気づきによって毎日が少しずつ違っていくのは、学得底のおかげです。

学びのセカンドステップにして、ファイナルステップである体得底は、すべての学得底の終着点であり、新たな起点です。そして、それは明るい未来を照らす道標となるか、歩んだ過去への後悔となるかのどちらかです。

タバコが体に良くないと知っていて、それでも喫煙しつづけて、体が病気になり、タバコを吸う体力が無くなり、結果として禁煙状態となることも、体で分かるという学得底から体得底への変化です。

健康が失われた日常や、病気による死は、学得底の強制的な体得底への移行だといえます。

自分で気づき、自ら行動に移すか、自分の体内を含む、自分を取り巻く環境からの強制力による執行となるのかの違いはありますが、学得底は、必ず体得底に辿り着きます。

学得底は、脳内の変化で、体得底は、体の動きの変化、それを繰り返すことによる行動と習慣の変化です。

人が動くと書いて、働くという字になります。見聞きして学んだことは、体を動かしてはじめて、本当に学んだことになるのです。

いままでの習慣を変化させるほど身体をコントロールできれば、より良い未来の選択ができるようになります。そして、動けば動くほど、働けば働くほど、活力が上がります。

本当に理解している状態は、良い雰囲気を纏います。見聞きしたことや経験したこと、すなわち学得底を生かしているわけです。

知っているけど、やらない。分かっているけど、行動に移さない。すなわち体の動きがない状態というのは、死です。行動の停滞は、思考停止として脳に差し戻され、学得底は、完全拒否されます。そうなってしまうと、強制執行の瞬間が来るまで、見えない牢獄の囚人となります。

学得底と体得底。気づきから生まれた脳内の小さな電気信号の変化は、行動の変化へと移行します。いつ行動に移すか。その決断のみが、わたしたちの自由意思のようなものがあるのなら、委ねられているのかもしれません。