素意を生きる

ソイヤ!ソイヤ!

お神輿を担ぐときの掛け声のソイヤは、素意やという字を当てるそうです。

日本古来の神道の神事に関係する言葉なのですから、日本に最初からある力の強い言葉の一つなのであろうと思います。

意味を調べてみますと、

  • 前々から抱いている考え・願い(手元のデジタル大辞泉より引用)
  • かねてからの思い。日ごろの願い。本心。(weblio古語辞典より引用)
  • かねてからの願い。平素からの思い。素志。素懐。本心。(精選版日本語大辞典より引用)

といった感じだそうです。

なっこは今を生きることが楽しくて仕方がないのですが、それは、安定の中にある真の中心を探究しているからだということは感覚で分かっていました。

でもそれを表現する言葉は、わたしの知りうる語彙のどれを当てても組み合わせてもしっくりこず、ここ数年そこで止まっていました。

それがたまたまソイヤっていったい何なんだろうとグーグル検索した結果、素意を発見し、そして、金鉱や油田を掘り当てた如く面白くなってしまったのです。

なっこが考える素意の解釈は、人間が人間となって以来、何万年、何十万年、もしくはもっと気の遠くなるような悠久の年月を、朝起きて、食べ物を探し、道具の手入れをし、周囲の人間関係のメンテナンスをし、疲れと共に日は落ち、外敵に殺される心配なくぐっすり眠るという、人類の歴史上、最も一日が楽しかった時代の生活を指しているのではないかと仮定します。

食物連鎖の中の下くらいにいた人類が、虚構の集団を作ることによって地球の歴史から見たらほんの一夜にして種の頂点に君臨してしまいました。人間の集団と人間が具現化する文明に対抗できる生き物は存在せず、人間社会の中にあっては無敵のわたしたちは、食うか食われるかという自然の理から解放されたように見えました。

それは150人以下の小さな集団であれば、本当に桃源郷の様な日常であったと思います。みんなで役割を分担して、みんなが種の頂点を享受していたのです。安心して眠ることが出来、食べ物は分け合い、子も共同で育てます。また、ほんの少数しかいなかった老人は、長老として敬われました。

時と共に栄えます。そのうち、人間の集団は指数関数的に大きくなっていきます。

その数は2024年現在で、8,000,000,000人以上の地球規模の集団になっています。

本当に自然と人間社会が調和していた時間は過ぎ去り、自分より絶対的に強い捕食者は、見た目は大型の肉食獣から、肌の色の違う同族や、考え方や価値観が違う同族に変わりました。敗者は根絶されたり、飼殺されたり、奴隷にされたりします。

自然の食物連鎖から解放されてはいますが、人間社会の生存競争も自然の一部でありますから、わたしたちは今も昔も変わらず、有無を言わさぬ弱肉強食の中にあります。

そんな絶望的な状況の中で、桃源郷があるとすれば、人体の内なる小宇宙を整え、わたしたちと自然が対等であった時代と同じようにいまのありのままの人間社会を自然として付き合い、素意に近づく行動をし、素意から遠ざかる行動をしないことです。

素意に近づく行動

  • 植物性食品
  • 腹6分目~8分目まで食べる
  • 散歩・運動・スポーツ・ダンス
  • 紙の本を読む
  • 演劇・映画・神事を観る
  • 書く
  • 描く
  • 作る
  • 演じる
  • 舞う
  • 歌う
  • 企画する
  • 料理
  • 掃除
  • 旅行
  • 最愛の人とのセックス
  • 質の良い睡眠
  • 社会で何かしらの役割を持つ
  • 自分の世界を少し良くする
  • 自分を癒す

素意から遠ざかる行動

  • 動物性食品
  • 暴飲・暴食(満腹まで食べる)
  • アルコール
  • ニコチン
  • カフェイン
  • 砂糖
  • あらゆるギャンブル
  • 接待付き飲食店
  • 風俗・売春・買春
  • 薬物
  • スマートフォン
  • 悪口・噂話
  • 働きすぎ
  • 借金しないといけないすべてのこと
  • 分不相応な望み
  • 不平・不満を抱く
  • 暴言・暴力
  • 居心地の悪い場所に居続けること

素意とは、未来永劫たどり着けない一点であろうと思います。

原子のなかには、途方もない空間があり、その中に根源とされる素粒子があるそうです。もしかしたら現在わたしたちが想像しうる最小の単位である素粒子という終着点の先にも、大宇宙と同じ比率でさらに空間は広がっているかもしれません。

そんなどこまでいっても先がある未来永劫たどり着けない究極の安定の探究を、素意と勝手に解釈しています。