命くらいかける話

ナデミタコは、自分自身が婿養子という立場になって、親子関係を見る視点が変わりました。中でも、父親と娘婿の関係は、興味深いテーマの一つです。

466年前、天下人たちが、天下統一を目指した時代の話です。斎藤道三氏と織田信長氏は、父親と娘婿の関係でした。時は1554年。村木砦の戦いで、このままでは負けると思った信長は、道三に助けを求めます。このとき、信長20歳、道三60歳です。高い志こそありましたが、まだまだ兵力も実績もない信長に、美濃を一代で掠め取った歴戦のつわもの道三は、なんと兵を貸します。兵を貸すということは、命をかけるということです。

なにがどうなったら、娘婿に命をかけてもらえるんだろう。

戦から約1年前、二人は初対面します。

信長は、「うつけ」「おおたわけ」と市中の評判だったそうです。現代でいうと、「前例のない変人」がしっくりくると思います。前例のない人を見ると、それは理解の範疇を超えてしまいますから、ほとんどの人は、あああの人は馬鹿なんだとか、あの人は私たちとは違うとか、なんとか自分の理解できる範囲の解釈で納得しようとします。

本当に評判通りなのかどうか、道三は自分の目で娘婿を見定めます。

対面の日に、信長は兵を率いて行進してきます。それは、この対面が決裂したら、命はないと分かっていたからです。道三は、自分に差し向けられるであろう兵を見て、なかなかやると思ったことでしょう。なぜなら、戦況を的確に読める若者であることは分かったからです。しかし、ヒョウタンをぶら下げて奇抜な身なりをした信長は、見るからに「うつけ」「おおたわけ」でした。

対面の場に、信長は礼を尽くした正装で、単独で現れます。そして、威張ることなく、媚びることなく、道三とその家臣たちに真正面から一人で挑み、圧倒していきます。

信長が正装で現れたのは、道三という成功者への敬意であると思います。成功者は、常に先の世界を見ています。そして、現状に甘んじることなく、先の世界を現実とすべく行動します。道なき道を切り開き続けた道三の人生に、信長は敬意を表したのです。

敬意は示しますが、信長は絶対媚びません。なぜなら、天下統一を成し遂げられるのは自分しかいないという、とんでもなく高い志を持っているからです。自分の価値を、自分が理解していればよいと思っているんです。そして負けるわけがないと思っていて、それは覇気となって他を圧倒するんです。

道三は、とんでもない原石を見つけたとびっくりしてしまうんです。成功者は、志の高い若者が大好きで、そんな若者が礼儀正しく接してくれると、嬉しくなってしまうんです。信長は、いままで会った誰よりも説得力のある天下人だったんです。天下人とは、天下を志した人のことです。天下を取れたか取れないかは些末なことで、天下を志した行動そのものが天下人なんです。

道三は、なにもないところから、一代で武将になった成功者です。小さな成功に安住することなく、どう達成したらいいか見当もつかない目標をたてて、それを実現させ続けてきたんです。一角の人物でも、駆け出しのころは何も持っていません。そしてそれは、世間から「うつけ」「おおたわけ」に見えることを、道三は実体験から知っているんです。

道三の息子や家臣は、自分をたててくれるし優秀なんですが、なんかピンとこないんです。成功者の後に続く者はそういうものかなと思う反面、なにか血がたぎる後継者がいてもいいんじゃないかとも思うんです。そこに、比類なき先見の明と行動力のある娘婿が現れるんです。成功者には劣等感がありませんから、自分よりも優秀な若者を、素直に認めてほめることができるんです。お前すごいなって。そんな自分よりもすごい奴が、礼を持って接してくれるんです。命くらいかけるでしょう。