12月、1月、2月の90日間は、お休みをしているナデミタコです。
「冬、一切働かなくても成立する農家になること」
7年前、30歳のナデミタコが願った夢は、叶いました。願った当時は、どう叶うのか、想像もつかないゴールです。
そもそも、農的な暮らしというのは、四季と共にあったはずです。春に田植えをし、夏の恵みを享受し、秋に実り、そして冬は静かに過ごす。
サラリーマンという働き方は、農村にも影響を与え、気がつけば、村社会は、すべてが金銭を介して取引をするようになっていきました。
村はひとつの共同体であるという、持ちつ持たれつという営みは、限界を迎えていましたから、雇用や月給という考え方は、あっという間に浸透していったのであろうと思います。
そして、高度経済成長期を迎え、誰もが学歴に価値を見出すようになり、何とか子供の学費を支払うために、農村は、冬も仕事をするようになっていったのです。
その結果、現代に生きる農家は、冬は働くものだと思い込んでいます。トラック運転手をやったり、建設現場に出稼ぎに行ったり、冬でも育つ作物や果樹をやったり、畑にビニールハウスを設営し、疑似的に春を作り出すことで仕事を創出しています。
90連休の本質
では、日本人は、冬の何もしない時間に、何をしていたのでしょうか。
冬の静謐の時間に、今なお残る民話や物語は、囲炉裏の幻想的な赤い火の元に生まれ、無形の芸は洗練され、おじいちゃんおばあちゃんから孫へ、すなわち、至高の語り手から最も嬉々とした聞き手へ、ありふれた農村で、悠久の時を語り継がれてきたのです。
農家の冬の時間が、日本人を育んだのだと思います。
それも、1万年単位の時間をかけてです。
国歌、君が代に
さざれ石の巌となりて、苔のむすまで
とあります。
さざれ石とは、大小様々な種類の石が、圧縮されてぎゅっと固まって一つの石となったものです。四方を海に囲まれた日本は、それでも渡来する人間や文化を咀嚼し受け入れ、長い時間をかけて自分たちの一部としてきました。様々な文化が、人の営みという無限小の力で融合して一つになっているのが、日本であるとさざれ石を例にして歌っておるのです。
そんなさざれ石が、さらに集まって巌、すなわち巨大な岩となり、さらにそれが苔をむすほどの時間が流れたのです。
わたしたち日本人と、日本国というのは、百年や千年で成したような浅い国ではないのです。
次世代の若者が志したくなる農は、時間もお金も情緒も教養もすべてあるべきです。その足掛かりとなる見えない中心点は、農家の冬の時間をどう使うかにあるように思うのです。
冬という教養と情緒を育むかけがえのない時間を、灰色の単純労働の時間に当ててしまっては、日本の農に知力と活力がなくなるのは、当然の結果であろうと思います。
萌え出る春が来るのは、種は冬になにもしないという時間を持っていたからです。