道具(3) 炊飯器

炊飯器と聞いて、なにを思い浮かべるでしょうか。

画像参照:銀峰陶器 花三島8号

こちらが、ナデノキッチンの炊飯器こと、銀峰陶器さんの花三島8号です。合羽橋道具街の陶器専門店で購入しました。確か2,800円くらいだったと思います。

おそらく、多くの方にとっては、これは土鍋と聞いて思い浮かべるものだと思います。

これは、鍋料理をするもので、冬使うもので、普段はキッチンの奥にしまいこんでいるものだと思い込んでおられるかもしれませんが、実はこの道具の本当の仕事は、玄米を炊くことです。

この炊飯器でできることは多岐にわたります。

  • 玄米を炊く
  • 煮込みうどん
  • そばつゆを作る
  • 湯豆腐
  • おじや
  • 雑炊
  • お鍋

と、通年使えます。

手入れは簡単で、割れない限り半永久的に使えて、直火と土鍋という、縄文・弥生の昔から、日本人の穀物を炊いてきた最強コンボは、歴史が証明している美味しさです。

女性がキッチンで力仕事をすること、超巨大冷蔵庫のおかしさと、どれだけ現代日本のキッチンが迷走しているか解き明かしてきましたが、キッチンの見えない中心である、わたしたちの主食が整っていないのですから、周囲の道具や環境も、整うはずはありません。

炊飯器がおかしい。

その結果、キッチンは楽しくなく、一生懸命がんばっているのに、美味しくない料理が出現するのです。

玄米・土鍋・直火

この三つが、わたしたちの主食を、毎日楽しく料理し、美味しくいただく中心です。

白米・電気炊飯器

この二つが、あなたの主食と炊飯器である限り、キッチンのすべてはいびつに波及していきます。そこには楽しくない仕事が出現し、買わなくていい物を買ってしまい、使わないモノの手入れをしなくてはならず、本当にしたいことを見失います。

土鍋が炊飯器だと分かるために、白米、電気炊飯器、主食とは一体なんなのかを考えていきます。

白米とはなにか

白米とは、ジャンクフードです。

玄米という完全栄養食に最も近い食べ物から、栄養のあるヌカを剥ぎ取ると、口当たりの軽い、白く艶のある映える見た目をした、禁断の食べ物は誕生します。

白米だけでは、人間の体が機能しなくなることは昔から知られています。江戸わずらいといって、白米を食うことが流行していた江戸の人たちは、足腰が立たなくなる脚気(かっけ)という病気にかかりました。脚気は、ビタミンの欠乏、特にビタミンB1の不足によって心不全と抹消神経障害が起こります。

なぜ、そんな不完全な白米は流行したのでしょうか。

それは、不完全だからこそ、多くの副食を必要とするからです。副食があればあるほど、裕福だという見栄の張り合いは、白米は裕福な人の食べ物、玄米は貧乏な人の食べ物という常識となっていきます。そしてそれは今日でも根強く残っています。

たとえば、ヌカ漬けがなぜ白米に合うかというと、白米に足りない栄養を補完するからです。

ヌカの栄養素は、身体が本能的に欲していますから、ヌカ漬けはとても美味しいのです。

そもそも、玄米を食えば、精米する手間も、ヌカ漬けをつくる手間もいらないわけです。今風に言うと、なぜこんなコスパが悪いことをするのか。

それは、裕福さを演出してくれるからです。裕福さは、江戸時代の封建社会において、よりよい婚姻にとって、家柄や容姿と共に重要であったわけです。

白米と副食たくさんこそ見栄を張れるポイントで、見栄を張れるか否かは、家や一族の存亡に関わりますから、白米を食って脚気になるなどということよりも、生き死にに直結していた可能性もあります。

そして、数百年続いた白米至上主義、一品でも多くの副菜至上主義は、脈々と受け継がれ、隠された意図こそ違いますが、今なお白米を、大多数の日本人が食っておるので、今日に至ると言えます。

本来、食べ物が有り余っている日本で、それも最高の主食であるコメが有り余っている日本で、グローバル社会の一員として諸外国とお付き合いするには、白米は最適です。

工業製品や家電製品を輸出して、外貨を獲得する代わりに、大量の食べ物を世界中から輸入しています。

「いろんなものをバランスよく食べましょう」という家庭科で習う標語は、まさに国にとって都合が良いのです。

そして、いろんなものを食べるには、主食はなるべく栄養価が低い方がよいのです。

戦後はもっと複雑になって、朝はパン、昼は外食、夜は白米とおかずたくさん。献立は毎食機知に富んでいなくてはならない。

途切れることのない世界中から供給されるごちそうの連続は、身体と精神の不調を起こし、それに対策するために、サプリメントや健康食品が発明されます。

ほとんどの人は試したことが無いと思いますが、水加減と火加減が整った玄米は、白米並みに柔らかく、それでいてもちもちしており、心と本能が美味しいと感じます。そして、玄米を食うとすぐ腹は満たされますから、玄米ご飯に一汁一菜で、本当に身も心も本能も満足するのです。

なので、こんな危険な食べ物が普及すれば、いろんなものをバランスよく食べなくなってしまいますから、現代日本において玄米は、巧妙に隠されておるのです。

日本の総合的な国力の成長と維持には、白米こそ最適な戦略的兵器です。

一方で、最小の集団である夫婦や個人の健康には、玄米こそ最適なパートナーです。

日本国家があるおかげで、わたしたちは平和な日常を享受しています。

国民的義務を果たさず、自分と家族のみの健康を最優先に考えることは、どうなのでしょうか。

もしかすると、玄米を食うことは、非国民的な行動なのかもしれません。

電気炊飯器とはなにか

電気炊飯器とは、必要を超越して、あって当たり前な家電の日本代表です。

値段はピンキリで、安いものは数千円、高いものは数十万円します。これは何を示すかというと、困窮層の家にも、富裕層の家にも、電気炊飯器は鎮座しているということです。

一見すると、電気炊飯器は、これだけ普及しているのですから、なくてはならないキッチンのレギュラーメンバーです。しかし、残念ながらそうではありません。なぜなら、利点と欠点が釣り合っていないからで、その巧妙に隠された欠点は致命的だからです。

まず利点を考えます。

ボタンを押せば、自動でご飯が炊けること。

全自動で仕事をするというレアな特性を持つ家電は、家電の中でも特に重宝される傾向にあります。なぜなら、仕事が進行している間に、人間は別のことができるからです。

仕事が行われている間、人間がフリーになる他の家電は、洗濯機、ふろ給湯器、最近では、お掃除ロボットがあります。また、防犯カメラや防犯センサーなども、警戒や警備という仕事を代行してくれるので、含めてもよいと思います。

一見すると、限られた有限の時間の中で、複数の仕事をこなすことができるわけですから、ものすごく時間とエネルギーを節約しているようにみえます。

それは特定の家電によっては正しくて、例えば洗濯機、ふろ給湯器などは、買うお金、維持費と手入れの手間、置く場所の占有、提供される仕事の質を考慮しても、余りある恩恵をもたらしていると思います。

では、電気炊飯器の欠点を考えます。

炊けたご飯がおいしくないこと。

炊飯器で炊いたご飯しか食べたことがない場合は、比較対象がないわけですから、信じられないかもしれませんが、どんなに高額な炊飯器で炊こうが、土鍋と直火で炊いて、おひつに移したご飯の足元にも及びません。なぜなら、炊飯器は調湿できないからです。

白米を炊飯器で炊飯して蓋を開けると、湯気が立ち上り、上蓋には水滴が滴っています。そういうものだと、問題にすら思っていないでしょうが、これが、炊飯器が絶対飛び越えることができない美味しさの壁なのです。過剰な水分は、やがて炊いたご飯の中に戻っていき、保温をすればするほど、ご飯はべちゃべちゃになります。そして、さらに保温し続ければ、ごはんはカリカリ、かぴかぴになり、さらに放置し続ければ、炊飯器の中に、新しい生態系が誕生します。

ご飯がべちゃべちゃになるのは嫌なので、余ったご飯は、ラップに包んで冷凍します。余ったご飯はご飯を炊けばどんどん出現してしまうので、「もったいない」「食べ物は粗末にしてはいけない」と善良な日本国民は、我が国の心であるお米を捨てるなんてとんでもないと、問題を先送りにし、いつか食べるからとごまかして、せっせと冷凍します。そしてそのためには、大きな冷蔵庫が必要になります。電気炊飯器と巨大冷蔵庫は、相性最高なんですね。

直火・土鍋・おひつという最強のトリオは、何百年とわたしたちのご飯を炊く仕事をしてくれている道具です。これらが提供してくれる美味しい玄米ご飯は、買おうお金、手入れの手間暇、占有する場所を考慮しても余りある価値を提供してくれます。

たしかに、人間はご飯を炊くという仕事をしなければいけませんが、それは楽しい仕事なので、道具と人間が一緒に仕事をし、結果として最高の結果が現れます。

プラスチックのパーツを取り外して洗ったり、何万円もする炊飯器を定期的に買い替えたり、余ったご飯のことで脳のリソースを取られたりしません。

火にかけた土鍋は、5分もすれば、コトコトと心地よい音をたてます。火を弱火にし、蓋をすこしずらします。そこから20分もすれば、玄米は炊きあがります。

炊きあがった玄米は、おひつに移します。おひつは、ご飯から出る水分を吸収し、また時間が経てばご飯に水分をちょうどいい感じに還元するという、素晴らしい仕事をします。

30分ほどおひつで調湿した玄米ご飯は、これぞ主食の王であるという味と風格をそなえています。世界で最も栄養価に優れたイネ科の穀物は、水が豊富で、山と海が近い日本だからこそ、水田にて伸び伸びと育ちます。山から無尽蔵に供給される栄養素は、力強い河川から、自然と人間社会の橋渡しをする用水路を経て、水田に供給されます。

水田の稲は、地の養分を過剰に吸いあげなくてよいので、連作障害とは無縁です。毎年稲を作り、麦や大豆を作り、それでも日本の国土は荒廃しないのです。

主食とはなにか

主食とは、人間の文明を育んだイネ科の植物です。それは、幾千ある植物のほんのひとにぎりです。

  • イネ(米)
  • 小麦
  • 大麦
  • トウモロコシ
  • サトウキビ

これらの植物は、人間と共存共栄することによって、生息地を拡大してきました。種子を食べさせて人間を養うことにより、人間に彼らが生育しやすい環境を作らせるのです。

貯蔵可能な穀物を得た人間の文明は、今日何を食うかという命題から解放され、天敵らを駆逐し、脳は虚構と現実を行き来し、繁栄の絶頂期を迎えています。

特に日本を含むアジアは、肥沃な土地と豊富な水のおかげで、最強の栄養価を持つイネを主食とすることが出来ました。インドと中国が、合わせて30億人もの人間を養うことができるのは、米を食っておるからです。

ちなみに、アフリカ大陸すべての人口が12億人です。また、小麦を主食としておるヨーロッパ地域の人口は7.5億人です。

炊飯器が整うと、すべて整う

炊飯器とは、最も大切な道具のひとつです。キッチンの一等地を与え、毎日手入れする時間を与えるべきものです。

銀峰の土鍋で玄米を炊き、木曽さわらのおひつで少し休ませ、茶碗によそい、食う。

一度でも、道具がきちんと仕事をした玄米を食べれば、玄米こそ、真の主食であると、人間なら分かると思います。

せっかく、人類最強の主食が、安価に手に入る日本におるのですから、炊飯器を整え、それらに手間暇をかける価値は十二分にあります。